小さな旅をした。
浅瀬を臨む旅行。
帰路の途中で花束を作ってもらった。
品のいい白いアジサイとピンクの葉っぱ、緑の葉っぱ。
オランダ人の友達の誕生日だというので。
アムスにいたとき、すぐ近くに大きな花市場があって、長い茎のどでんとした素朴な華やかさに圧倒された。
家主のエレーナが花を抱えて帰ってきて、リビングにぽい、と飾る。定期的に。
夕方が訪れ、ワンプレートの料理をボーイフレンドとささっと食べて、踊りにでかけるか呑みにでかける。
それがアムステルダムの時間だ。
今夜、花の贈り相手ティムと、このワールドカップに湧いた数日は鎖国時以来の「オランダ」関心度アップ in 日本だなどど笑いながら友人の手料理をいただいた。
グリルしたポテトにスペアリブのスープに鯛のカルバッチョ。
おまけでグレープフルーツとクレソンのサラダを作ってあげた。
いつだったか、知人が女性の誕生日に贈る花束を一緒に選んだことがある。
花のひとつ、紙のひとつ、リボンのひとつ。
あんなふうに楽しんでひとつひとつをこだわった花を贈られたら、わたしなら、とろけちゃってぐうの音もでないやとこっそり嫉妬したのを覚えている。
大切そうに花束を雨に濡らさないように抱えながら、別れ際に彼が唐突にわたしに言ったことばがある。
あのとき、まるで砂時計の最後の一粒が落下したみたいに、見事にぴたりと願いが満ちるまでの時間が終わったんだ。
知人は、花束とも贈られる主ともまったく無関係の「ひとこと」を
雨のなかに、それだけはわたしに残して走って楽しげに消えちゃって、
わたしは見送りながら、
残酷なやつだなぁって笑いながらおもったっけ。
アムステルダムから船にのって島に行ったはずだ、とティムと話していて記憶を辿る。
島の名前を思い出すことができない。
猫と人口海岸と静かな路地裏。
途中で雨が降りはじめて、海がグレーに変わっていった。
砂時計のひとつぶが落ちると、空っぽの停止した時間がガラスのなかに生まれる。
その空洞を感じるたびに、わたしはもう一度砂時計をひっくり返しそうになったものだ。
馴染みのない電車のなかで、プロセスもよっこらしょと動いてく。
暗唱に乗り上げた新作を、よっこらしょと動かしていく。
動かしの音、という作品を昔つくったなあ、そういえば。